優しさと命の値段

 蓮を植えてある水鉢の中にメダカがいる。その1匹が死んだ。原因不明。酸素不足か?水1リットルに対してメダカ1匹という割合で、2ヶ月くらい前に4匹買った。1匹ずつ亡くなって、のこり1匹。メダカでも、亡くなると悲しい。「メダカでも」という言い方はメダカに失礼か。ごめんなさい。その都度、水鉢の脇の地面を掘って亡き骸を埋葬する。手を合わせて合掌。メダカの種類は「ヒメダカ」。1匹48円。水鉢に1匹のこったメダカが可哀想なので、またホームセンターへ仲間を買いに行った。しかし、観賞魚コーナーに行くと、ヒメダカの水槽には仲間が1匹もいない。お店のスタッフに尋ねると、「ごめんなさい。いまヒメダカは売り切れてしまっているんです。」と。どうしようかと思いながらも、隣の水槽を見ると、「黒メダカ」という名札が付いている。そこには10匹くらいのメダカが泳いでいた。黒メダカというから真っ黒かと思ったが、すこ~しだけ黒かな?という色具合のメダカだ。少し悩んだが、結局それを3匹買うことにした。1匹80円。そこで思った。ヒメダカ1匹48円。黒メダカ1匹80円。命に値段の差があるんだなと。あらためて思った。おかしくない?以前、私の家でも犬をペットショップで買ったことがある。15万円。私は子どもの頃から犬や猫を飼ってきた。いずれも、もらってきた子犬であったり、捨て猫であったりしたのを飼った。だから初めて子供のために犬を買ったときは、命を買うことに対して、何かうしろめたさのようなものを感じたのを覚えている。私のこの考えは、所詮キレイごとだとは思う。なぜなら、毎日、命を頂きながら生きているからである。スーパーで、肉を、魚を、野菜を買ってくる。それを食べて生きながらえている。毎日毎日50年以上も。それらの食べ物は、かつて生きていた。私たちに食べられる時に値段がつけられてくる。それが命につけられた値段であることを我々が意識することはない。命に値段をつけることはできない、そう言うけれど、実際には値札がしっかり付いている。人間一人ひとりに値段がついていたら、どう思うか?良い気分はしないはずだ。「なんでお前より、俺の方が値段安いわけ?」と論争の火種になる。歴史的にみれば実際に人間に値段がついていた時もある。奴隷制があった時代、人身売買が公然と行われていた。人間に値札のつかない(闇社会ではあるかもしれない)この時代に感謝しなければいけない。だからこそ、逆に、値札のついている動物たち、ペットたちを大切にしよう。そして、人間が生きるために食される動物たち(野菜も)の命も粗末にせずに、食べ残すことなく、ありがたく頂こう。そう思った。人間の命だけではなく、この地上に存在するすべての命に感謝しながら、生きて行こう。水鉢の中にはヒメダカ1匹と黒メダカ3匹。仲良くやってもらいたい。その前に死なせないように管理しなきゃ。う~~~ん、難しい。