優しさと「つまらない人間」

 「読みたいことを、書けばいい。」(田中泰延著:ダイヤモンド社)を読んでいる。この本の中に「つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。」と書いてある。自分の内面ばかりを語っている人は、つまらない文章を書く。少しでも人に自分の考えを伝えたいならば、伝えようとするならば、そういう話の仕方、語り方、文章の書き方はいけないということだ。内面を語ると言えば、この「優しさ日記」の内容は、そのほとんどが私の内面を綴ったものだ。この本の著者の言葉を借りれば、「わたしはつまらない人間ですと触れ回るようなこと」をしているということになる。この「優しさ日記」は、私の内面を探って、心の奥底にある本心を吐露することにより、自分の考える優しさとは何かを追究するものである。だから当然に私自身の内面を語らざるを得ない。ただ、私の場合は、単なる日記であり、あえて何かを人に伝えようという傲慢無礼な嗜好のものではない。ただ紙媒体の日記ではなく、ネットを利用しているだけだ。結果的にネット上で公開されているので他の人も読みたければ読んでもいい状態になっている。しかし、私がつまらない人間であることは否めない。多くの人から見れば、確かにつまらない人間かもしれない。友達は全くいない。それゆえにスマホでラインをすることもなければ、電話がかかってくることもない。逆に電話をかける先もない。一人が大好きだ。時間があれば一人でずっと本を読んでいる。腰が痛くなり、坐骨神経痛を誘発するくらい、本を読んでいる。私の楽しみのうち70%は読書。残りは愛車のスーパーカーの洗車、庭の手入れだけだ。他の人から見れば本当につまらない人間だ。自分でもそう思う時がある。では私から見て、つまらなくない人、面白い人、興味をひく人とはどういう人か?それは、博識で、教養があって、文学、芸術、音楽に造詣があり、慎み深く、謙虚で、人として、慈愛の心を持ち、儒教で説く五常、すなわち「仁、義、礼、智、信」このすべてを会得している人だ。こういう人にしか興味はない。私にとってつまらなくない人とはそういう人だ。ただし今まで会ったことはない。そういう人は表に出て来ないからだ。だからこれからも会うことはないだろう。つまらない人間、おもしろい人間。どちらも個々人の主観的な問題なので深く考えることもない。でもやっぱり私はつまらない人間なのかもしれない。もっと人生を楽しく生きればいいのにと思うことはよくある。