優しさと大河の一滴

 「人は仏の小さな道具、小さな筆先、人の行いは大河の一滴、しかしその一滴がなければ、海はその一滴分、少なくなる」これは私が読んでいる「守教」(帚木蓬生著:新潮文庫)の中に登場するお寺の老住職の言葉だ。その意味を解釈する力が私にはまだない。我々人間は、仏の小さな道具であり、小さな筆先である。道具、筆先?そして我々の行いは大河の一滴。その一滴のたどり着く先が海であり、その海の水の一滴一滴が我々である。大河の一滴、そして海?あまりにも壮大なたとえ話で私にはその意図するところが掴みきれない。人は、どこかの山の頂にて、雪解け水の一滴としてこの世に生を受け、山から谷へ、そして小さな川を下り、そして大きな川へ流されていく。長い旅路の終わりに、海が待っている。以前「大河の一滴」(五木寛之著:幻冬舎文庫)を読んだことがある。内容はほとんど忘れてしまった。その本が現在のコロナ禍で売れているという。その著者である五木寛之さんは言う。「なにも期待しない覚悟で生きなさい」と。確かにそう思う。こちらが能動的に何かを人に施した時、その都度相手に感謝されることを求めるようなことはしないことだ。いつも何かを期待していると、自分の思い通りにならなかった時にいつでも落胆するようになり、いちいち疲れることになる。初めから何も期待しないで黙って行動すれば気を遣うことはない。見返りを期待しない。ただただ目の前のことをこなしていくだけ。決して欲をかいてはいけない。無欲で生きて行く。中途半端に期待するから裏切られたときに失望し、そして身動きができなくなる。無欲で、なにも期待せずに、目の前のことを淡々と、黙々と、自然の流れに身をゆだねて、進んでいく。それが一番自然なのかもしれない。大河の一滴である自分が川の中でじたばたしても、大河の流れは変わらない。自然の大きな力に抱かれて、神から与えられた自分のやるべき仕事を、ただただ黙々と静かにこなしていくことが大切なのだと思う。

優しさと恐山

 この頃、亡き父親を思うことが多い。なぜだろう。ふと考えた。それはきっと、父に助言を求めているからなのだろうと思った。何の助言か?それは、これから私はどのような人生を歩んでいけばいいのか、何か助言が欲しい、ということなのだろうと思った。最近になって、人生後半をどのように生きるべきかについて悩むことが多い。70歳まであと15年くらい。15年などあっという間に過ぎることは承知だ。だからこそ、鼓動の止まる最期の時まで、自分が納得のいく人生を歩みたい。そのようなことを考えている時に、もし父親が生きていたら、どのようなことを私に伝えただろう。父親本人が私の年の頃にどのような気持ちで生きていたか、または現在生きていれば88歳になるわけだが、その88歳である父親が人生の先輩としてどのようなことを息子の私に伝えるのか、とても興味のあるところである。父と話がしてみたい。仕事をしながら思った。そうだ、恐山へ行ってみよう。少し話が飛びすぎるようだが、ちょっぴり本気だ。恐山。今の若い人たちは知らないか?青森県下北半島霊場の恐山のことだ。30年ほど前に友達複数人と観光で訪れたことがある。ではまた観光で?いや、違う。イタコさんに「口寄せ」をしてもらって父親と話をするためだ。え?何を言っているの?という感じもするが、至極真面目である。イタコさん。イタコさんとは、北東北地方で霊媒をする女性、つまり霊媒師のことである。そのイタコさんがする「口寄せ」つまり降霊術で、父親と話がしてみたい。別に先ほど言っていた助言をしてもらいたいからではなく、ただなんとなく父親の声が聞きたくなったから、話がしてみたくなったからだ。イタコさんの体に父親の霊が降霊し、そしてイタコさんの口を借りて父親が話す。そういうことだ。そんなの科学的におかしい!そんなのウソに決まっている!そんなことできるわけがない!そう思うかもしれない。ただ、別にそれでもいいのだ。父親と話した気になるだけでいい。何か、自分の中で、心の拠り所が欲しいのかもしれない。いや、そうではなく、親不孝だった私の懺悔する場所に、機会になってくれるだけで、私は満足すると思う。この夏に行けたらいいなと思った。以前、「恐山~死者のいる場所~」(南直哉著:新潮新書)という本を読んだことがある。その中のエピソード。カナダ人の男性が通訳の日本人と観光で恐山を訪れた。イタコさんという霊媒師のことを知った好奇心旺盛な彼は、通訳の人と面白半分でイタコさんの小屋に入った。初めはニヤニヤしていた彼。通訳を通してイタコさんと話していくうちに真剣に。そして「口寄せ」が終わり小屋から出てきたカナダ人の彼は号泣していたらしい。そして「あのイタコさんは、死んだ僕のママに違いない!」と。この話を信じるかどうかは人それぞれだ。私は信じたい。そして父と話してみたい。話すことができれば、そこに何かが見つかるかもしれない。そう思う自分には、浄土にいる父からの力がすでに働いているのかもしれない。

優しさと殉教

 「守教」(帚木蓬生著:新潮文庫)を読んでいる。戦国時代から江戸時代にかけての小説を読むと必ずキリスト教の布教、信仰、そして弾圧、迫害に関する物語に少なからずふれる。この「守教」はその時代におけるキリスト教(小説の中ではイエズス教)を信仰する人たちの物語である。やはりそこにも神父、修道者、敬虔な信者たちが迫害される様子が細かく書かれてある。凄惨な歴史がある。捕縛され、抗いもせず、処刑場へ向かう彼らたち。すべてを神の意思として受け止め、天を仰ぎ、聖書の一篇を唱えながら火あぶり、そして斬首されていく。大人だけではない。信者の子供たちまで。子供だけをこの世に残して殉教することは忍び難いということで、よちよち歩きの子供まで斬首され、その首がさらされる。自分の子供を自らの手で殺すようなものだ。ありえない。泣き叫ぶ自分の愛する子供が斬首される。それも神の意思か?絶対に間違っていると私は思うが、その時代に生きてみないと本当のところはわからないのかもしれない。どうしてそこまで強い信仰心をもつことができるのか?そして拷問や処刑を命じる公儀の役人。いくら命令とは言え、それに従う刑吏たち。ありえない。愚かすぎる。自分の子供を殺してしまうほど強い信仰心をもつ信者、そして小さな子供まで処刑してしまう役人たち。「守教」は小説なのでどこまでが真実なのかはわからない。ただ、殉教が主題になる物語には決まって同じような内容が含まれる。私には理解できない。例え自分が信者であったとするならば、私はすぐに棄教してしまうだろう。私は生きていたい。しかし、人間とは本当に恐ろしいものだ。聖人も悪人も紙一重だと思う。いや、同じかもしれない。ただただ、愚かな人間にならぬよう、常に自分自身を戒めながら私は生きていたい。

優しさと心静かに

 紫陽花を観に行った。1500年くらい前に創建された古刹だ。朱塗りの大伽藍に並んで、時代を感じる黒色の三重塔がそびえ立つ。大きな青い空を背景に、その朱色と黒色の対比が脳裏に沁みると同時に、心が静まりかえる。自分の生きている空間がここにある。そう思った。何ものにも煩わせられない時間がここにある。そう思った。人としてこの世の中を生きていくには、多くの人たちと共に暮らしていかなければならない。自分の思うような生き方ができずに、心が大きく乱されることもある。人に気遣いばかりして、常に心にさざなみが立つことが多い。もっと心穏やかに、心静かに暮らすことはできないのか。そう思っているのは私だけか。人それぞれに価値観がある。価値観の相違によって、お互いの心に乱れが生まれる。価値観の違いから、自分の心が波打ち、窮屈な思いをする。逆に、私がいくら静かに暮らしていたとしても、価値観の違う人にとっては、それが異質なものとして受け止められる場合もあるかもしれない。お互い様である。いつも心の平静を保つにはどうしたらよいのか。人それぞれの価値観を認めてあげることはもちろんのことだ。それとは別に、見て見ぬ振りをするとか、毎回その行為に対して意見をしていたのであれば何も言わず、もしくは意識がそちらに向いてもかるく流すなど、工夫をする必要がある。それでも価値観の違う大勢の人間と一緒に行動を共にしなければいけない場合、それは自分がその場所にいること自体が間違いなのだと思うことも必要だ。そこから早く脱出するために、自分の心が落ち着く先、居心地の良い環境を探す。心静かにいられる場所を求めて。少しくらい生活が苦しくなったとしても、自分が穏やかに生きていける空間で、静かに呼吸をしていたい。そう思った。もっと楽に生きてもいいんじゃない?それが私の価値観。古刹の境内で、竹ぼうきを持ちながら、日がな一日、黙々と落ち葉を掃いている。時間があけば読書をしている毎日。そこに人間として生きている価値を求める。それが私の価値観。静かに生きていたい。「忙しすぎて心が迷子になっていない?」(ターシャ・テューダー) 今日のYouTube:「 スローライフの母・ターシャが贈る永遠の生きるヒント/映画『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』予告編 」https://www.youtube.com/watch?v=lvbKlSgREHo

「❀今再び蘇る!🎶 偉大なターシャ・テューダー 特編版 ❀ Tasha Tudor 」

https://www.youtube.com/watch?v=ck-bMH4AokI

 

優しさと自然の摂理

 蓮の花を育てている。直径50cmくらいの水鉢だ。緑色の丸い葉っぱが4枚水面に浮いている。その水面から立ち上がってきた葉っぱがようやく2枚ほど。花芽はまだまだ出てこない。その水の中にメダカが4匹。時折、水面まで上がってきて波紋を広げている。藻を食べたり、蚊の幼虫、小さなボウフラを食べている。田螺(タニシ)も住んでいる。田んぼの土を混ぜ込んであるので、おそらくその中に卵が入っており、卵からかえったものが生息していると思われる。水鉢には細い竹の棒を立てておく。何故か?トンボの幼虫、ヤゴが住むからだ。昨年の秋にトンボが水鉢に卵を産む。それが卵からかえってヤゴとなり、しばらく水中で過ごしたあと、成虫、つまりトンボになるためにその竹の棒を登ってくる。そのための棒だ。まだ私の水鉢にヤゴはいない。直径50cmの自然がそこにある。いつの間にかトンボが卵を産み、ボウフラがわき、ヤゴそしてタニシが動き回り、勝手にアメンボが住みつく。そこに蓮の水鉢を置いただけで、これだけの自然が集まってくる。その自然を観察している私も自然の一部である。蓮の葉っぱの上にコロコロ転がる丸い雨水が、鏡のように、水鉢をのぞき込む私の顔を映し出していた。自然と一体化する瞬間である。今日の朝日新聞に「福岡伸一の~動的平衡~コロナ禍で見えた本質」という記事があった。「人もウイルスも制御できぬ自然」という見出しもある。「新型コロナもやがて新型ではなくなり、普通の風邪ウイルスになるだろう。宿主(人間)側が免疫を獲得するようになれば、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが残るからだ。だから長い時間軸の中でリスクを受容しながらウイルスと共存するしかない。」と福岡さんは言う。このような意見を持つ方は少ない。政府の新型コロナ対策班の方々、そして毎日テレビ出演している感染症専門家と言われる人たちは、新型コロナウイルスを数字に置き換えた物言いをしているが、ウイルスは数字で表されるものではない。自然物である。一人の人間を数字で表せることができるのか?臨床試験のデータやAIによる回答などで支配できるものではない。確かに新型コロナの臨床研究は大切だ。それを否定することはない。しかし相手は自然だ。我々人間は、ウイルスという自然を相手にしていることを忘れてはいけない。自然物である人間が、同じ自然物であるウイルスに抗う。もし人間の力だけでウイルスが駆逐できるのであれば、その逆もあり得ることになる。いずれウイルスが人間を滅亡に追いやる。しかしウイルスは宿主(人間)がいなくなると自分の命の存続もない。だから今回もウイルスは人間と共生しようとするだろうし、今までの歴史の中でもそうしてきている。ウイルスの方が賢いのか?ウイルスがこの世界に生まれてからの歴史を考えれば、人間の歴史など無いに等しい。現代の人間は自然に学ぶという謙虚さを完全に失ってしまったようだ。現在の新型コロナ騒ぎにおいても、自然に学ぶという姿はない。人間は自然の摂理に抱かれていることを忘れてはいけない。

優しさと父の日

 今度の21日は第3日曜日なので「父の日」だ。と言っても私の父親は14年も前に亡くなっているのでプレゼントを贈ることはない。仏壇に線香をあげるくらいだ。先日の日記(6月9日:優しさと父の命日)にも書いたが、父が遺した日記を今日も読んでみた。その日記は平成3年と書いてあるから、今から30年近く前のものだ。その日記の6月15日(土曜日)、「父の日」の前日だ。そこに私の名前がでていた。「息子にもらったポロシャツを着て」とある。私はすっかり忘れてしまったが、どうやら息子の私が父の日のプレゼントにポロシャツを贈ったようだ。全く記憶にない。いま父親が生きていたら何を贈っただろうか。読書を好んだ父だから、本か?英検1級を目指していた父だから、その問題集か?と言っても生きていれば現在88歳だからそれは無理か?お酒の好きな父だったから、お酒か?それとも一緒に食事?旅行?生きていれば、たくさん話をしただろう。父の子どもの頃のこと、戦争中のこと、戦後の貧しい生活、日本の高度経済成長期にサラリーマンとして働いていたこと、家族のこと、私が親不孝者だった頃のこと、一番好きな本のこと、人生を振り返って、自分の人生をどのように思っているか、いろいろなことを聞いてみたい。もう、それは叶わない。現在、父親がご存命の方たちに伝えたい。生きているうちに、たくさん話をして下さいと。聞きたいことはいくらでもあるはず。恥ずかしがらずに、思い切っていろいろなことを話してもらいたいと思う。父親の気持ち、家族への気持ち、子供たちに伝えたいこと、いっぱいある。父親が生きているうちに。自分が若いうちは、親の寿命など意識にはない。親は永遠にいると思っている。しかし親に残された命の時間は思っているほど長くはない。平成3年の日記を書いていた父は当時58歳。今の私とそれほど変わらない年だ。それから15年後に亡くなっている。親の人生は、あっという間に終わってしまう。今からでも遅くはない。素直に感謝して、親孝行をしよう。父の日の贈り物は「親孝行」だ。今日のYouTube:「 メーカーズマーク『父の日』篇 60秒 小栗旬 サントリー CM 」

https://www.youtube.com/watch?v=FJ1lOm6o8FM

優しさと北国の温もりと心

 今日のお昼に少しだけNHKのど自慢を観た。新型コロナの影響で生放送ができないらしく特別企画だった。のど自慢で唄われる人気曲ランキングの発表をかねた番組構成になっていた。そこに出演されていたヒャダインさんが「ランキングに入っている演歌はほとんど北国を唄う曲ですねえ、なんで北国は人気があるんですかねえ?」とおっしゃったのに対して、となりのモニターに映っていた女性が(私の知らない美人演歌歌手?)、「北国への憧れですよ!」と回答されていた。それは少し違うような気がした。北国には日本の原風景があり、日本人の心があるからでしょ?そう思った。北国。寒い。北国の冬は寒い。だけどそこに暮らす人たちの春を待つ心には温もりがある。温かい心だ。寒い外から帰って来た人を温める心がある。冷えきった体を温めてくれる人がいる。恋しい人を温かくする真心がある。人の情け、人情がある。都会の人たちは、そういう温もりを求めている。温かい心を欲している。優しくしてもらいたいと思っている。この殺伐とした世の中だから、都会人は優しさを求めて行列をつくっている。優しさの順番待ち。北国を唄う曲には、優しくて、ほっこりする温かさがある。私の好きな映画「壬生義士伝」で俳優の中井貴一さん演じる吉村貫一郎が言う言葉「盛岡の桜は石を割って咲ぐ。 盛岡の辛夷(コブシ)は北さ向いても咲ぐのす。んだば、おぬしらもぬくぬくと春のくるのを待たねえで。石を割って咲げ。世にも人にも先駆けて、あっぱれな花っこ咲かせてみろ。」これは吉村貫一郎が盛岡の藩校で先生をしていた時に、教え子たちに向って諭した言葉である。私はこのシーンが大好きだ。北の国で暮らす民の力強さを感じる。熱き心を感じる。そして本来、日本民族がもっているであろう魂を呼び醒ます祖国日本を感じる。日本人の心の故郷が存在する場所。それが北国だ。そう思った。また映画「壬生義士伝」を観たくなった。今日のYouTube:「 壬生義士伝 南部藩士 吉村貫一郎 」https://www.youtube.com/watch?v=fchsVahT56I

「 襟裳岬 地球劇場 」https://www.youtube.com/watch?v=184hBQoVEyo